俳優の小西博之さんの現在について迫ります。
小西博之さんが末期がんを完治し、命の授業を行っている小西博之さんに注目しました!
小西博之の現在について
「コニタン」の愛称で親しまれた俳優の小西博之さん。
「欽ちゃんファミリー」として人気がありましたよね。
最近、小西博之さんのお姿をテレビで拝見する機会が減っているように感じるのですが、実は小西さんはがんと戦っていたのです。
小西さんの現在につながなるこれまでの経緯をお話ししていきます。
『余命ゼロ宣言』で毎晩大泣き
2004年、小西博之さんに突然病魔が襲います。
その時の心境をこう語っています。
「14年前の秋くらいから食欲、性欲、睡眠欲がなくなっていって、京都で1ヶ月映画やっているときにもうボロボロになってきて、毎晩泣いていました」
「なんで俺だけこんなんなんやろ?神様、元気にしてくだいって号泣しました。今は87㎏ありますけど、体重も20㎏近く落ちてましたし、本当にしんどかった」
そして、クリスマスの日に病院で検査をしたのですが、大学病院で再検査することをすすめられたのです。
精密検査の結果「腎臓がん」と宣告されました。
「左の腎臓にできたがんは縦20㎝、横13㎝。日本の腎臓がん史上5本の指に入る大きさだと言われ、『今、この瞬間に死んでもおかしくない状態』」
と正に余命ゼロ宣言をされてしまったのです。
小西博之さんは毎晩泣いて寝て、朝になると目が覚めるという生活が続きました。
小西博之が末期がんを完治
余命ゼロ宣言をされた小西博之さんは2月14日に入院し、16日に手術をすることになりました。
手術の様子をこのように語っています。
「左の腎臓を切除して、リンパ節も取り去り、肺の状態を確認するために肋骨を2本切断するという大手術だったそうです」
手術中は麻酔で寝ていますから何も感じませんが、全身麻酔が切れた時の激痛はすさまじかったと言います。
かつて経験したことがないくらいひどくて、息をするたびに全身に激痛が走ったと。
それでも小西博之さんはネガティブにならないように、普通の生活をしようと心掛けました。
ウォーキングを始めると体が急速に回復していったのです。
そして、手術から9日後に退院しました。
実は、小西さんが知らないところで、大変な自体も覚悟するような会話があったのだとか。
「おそらく転移していてゴールデンウィークまでの命」
そうスタッフたちは言われていたそうなのです。
そのことを聞いて小西さんはスタッフの方々と一緒に号泣したそうです。
手術から5年たち、小西さんは医師から「完治」を告げられました。
まさに小西博之さんは生還したのです!
目標は壁のひとつ向こうに設定すること
小西博之さんはがん宣告されてから、大泣きすることでバランスを取っていました。
そして、絶望的にならならいように、努めてネガティブ思考に持っていきました。
それでも、不安になる夜は何度もありました。
10時間にも及ぶ大手術を終えて、リハビリをするようになったころ、小西さんはこのように考えていました。
「壁のもう一歩先をイメージすること」
このイメージトレーニングは、高校時代の野球部の監督や、大学の教職課程で受けた児童心理学の教授から教わったことでした。
「目標は壁のひとつ向こうに設定すること」
「楽しい目標にすること」
この言葉が小西さんの支えとなったのです。
やはり人生の先輩の言葉って聞いておいたほうがいいなと思います。
そして、小西博之さんにとって芸能界の恩師である萩本欽一さんからの言葉も、小西さんにはささっていました。
「人生50対50。幸せも不幸せも同じようにくるんだよ。でも悪いことも受け入れるんだよ。そうすればいつか必ず良いほうに転じるからね」
深い言葉ですね。
病気をすると自分だけが不幸のどん底にあると考えてしまいます。
なんで自分が、なんで自分だけが…と。
でも、人間幸せと不幸は平等ではないかと思います。
小西博之の講演会『命の授業』の評判
末期がんからの奇跡の生還を果たした小西博之んさんのもとに、その経験を語ってほしいという講演会の依頼が殺到しました。
それは「命の授業」として広まり、老若男女問わず好評を呼びました。
年間100回も「命の授業」を行い、がんと向き合う人々に勇気と希望を与えています。
そして、「生きてるだけで150点!」という本も出版しました。
がんになって不安な方々や苦しんでいる方々に、芸能人として伝えることが出来る環境は使っていくべきだと思います。
そのことで救われる人が一人でもいるなら、それは価値のある授業だと思います。