ファイティング原田さんは現在どうしているのでしょうか。
そんな原田さんの現在についてまとめました!
目次
ファイティング原田の現在
ファイティング原田さんは、現在どうしているのでしょうか。
プロボクシングで日本人初の世界2階級制覇を成し遂げたファイティング原田氏(73)が旭日小綬章に決定したことを受け、ボクシング関係団体から祝福のコメントが寄せられたというニュースが!
プロボクシングで日本初の世界2階級制覇を成し遂げた原田さん。
旭日小綬章に決定したようです。
旭日小綬章(きょくじつしょうじゅしょう)とは?
日本の栄典「旭日章」のうち、勲四等に位置づけられる勲章。
国や公共に対して功労のある者、とりわけ顕著な功績のある者に贈られる。
春秋の年2回、おおよそ数十名程度に授与されている。
旭日章には、勲等の高い順に、旭日大綬章、旭日重光章、旭日中綬章、旭日小綬章、旭日双光章、旭日単光章、の計6種類がある。
勲等は功績内容の重要性、影響の大きさ、果たした責任の大きさなどが評価される。
2003年に閣議決定した「勲章の授与基準」では、旭日章の授与基準が次のように規定されている。
- 特に高く評価される功績を挙げた者」に対しては旭日重光章以上
- 高く評価される功績を挙げた者に対しては旭日小綬章以上
- その他の者に対しては旭日単光章以上
受賞対象となる分野は特に限定されてはいない。
実業家や教育者をはじめ、科学、文化、スポーツなど各分野で活躍した者が旭日章、旭日小綬章の受賞対象となる可能性がある。
2014年の春の叙勲では、俳優の津川雅彦、落語家・柳家小三治、児童文学作品「魔女の宅急便」の原作者として知られる作家・角野栄子なども旭日小綬章を受けている。
旭日章は功績の内容を称える勲章であるが、同じく国や公共に対する功労を称える勲章で、長年にわたる公務従事とその成績を称えるものに瑞宝章がある。
とても貴重な賞ですよね!
現在はファイティング原田ジム会長
現在はボクシングジムの会長をしているようです。
ファイティング原田さんは2010年の任期満了を以って7期21年務めた日本プロボクシング協会会長を勇退(後任は大橋ジム・東日本協会会長大橋秀行)し以降は協会顧問に就任しているそうです。
世界チャンピオン経験者により同年に発足されたプロボクシング・世界チャンピオン会では最高顧問に就任ということで、現役引退後もずっとボクシングに関わっているようですね。
どうやらボクシングジムの会長は引退したようです。
一生ボクシングに関わっていくのでしょうね。
ファイティング原田の身長は何センチ?
原田さんの身長はどれくらいなのでしょうか。
ヘビー級としては小柄(180センチ)のタイソンは、原田(158センチ)氏のファイティング・スタイルを尊敬し、研究していたというのは有名な話ですね。
158センチと小柄ですね!
ファイティング原田の最強伝説
原田さんの最強伝説が有名のようです。
ファイティング原田氏は 名誉の殿堂たる世界ボクシング殿堂や国際ボクシング名誉の殿堂博物館で顕彰されている 唯一の日本人ボクサー。
世界タイトルを獲得するのは至難の業だが 「ホール・オブ・フェイマー」(殿堂入りした人)と呼ばれるのは さらに稀有で名誉なことである。
博物館で顕彰されており、殿堂入りした人と呼ばれているようです。
すごいですよね!
フライ級でデビューした原田は、減量苦のためバンタム級、フェザー級と階級を上げていくことになります。
1969年、フェザー級の世界王座を賭けた試合に臨んだ原田ですが、凄まじいアウェイの洗礼を受けることとなるのです。
王者の地元オーストラリアでの一戦に臨んだ原田は圧倒的な力を見せつけます。
2R、11R、とチャンピオンからダウンを奪い、14Rには相手を失神させる程の強烈なダウンを奪いました。
もはや立つことができないのは誰の目から見ても明らかでしたが、レフェリーはカウントをしないどころか、失神状態のチャンピオンを無理やり立たせ試合を続行します。
試合は判定にもつれ込み、結果はなんと引き分け。
原田がベルトを手にすることはなくなり、三階級制覇は幻となりました。
3階級制覇の可能性もあったようですが、残念ながら幻となったようです。
現役時代の戦績
現役時代はどうだったのでしょうか。
中学時代に友人に誘われてボクシングを始めたファイティング原田さん!
63回も試合をし56勝・・・本当に驚きの戦績ですよね。
これだけ戦ってたったの7敗!
飢えたライオンの底力・狂った風車などの呼び名にふさわしい結果です。
そして56勝の中でも、その内の23回がKOと約半数がKO勝ちのようですね。
勝率からみても素晴らしい成績ですよね!
日本人初の二階級制覇
日本人初の二階級制覇を成し遂げた原田さん。
日本人で初めて世界フライ級・バンタム級の2階級制覇をした名王者。
1962年、偶然にも世界王者への挑戦権が回ってきます。
原田は見事このチャンスをモノにし19歳で世界フライ級チャンピオンになりましたよ。
しかし、3ヶ月後に王座防衛に失敗し、減量苦を理由にバンタム級へと転向します。
1965年、『黄金のバンタム』と呼ばれた「エデル・ジョフレ」と世界バンタム級王座をかけた一戦が組まれます。
「エデル・ジョフレ」はバンタム級史上最強とする専門家も多く、めちゃくちゃ強い最強の相手でした。
原田の圧倒的劣勢という前評判の中、試合は判定までもつれ込み僅差で原田が勝利を手にしたのです。
これが、日本ボクシング史上初の二階級制覇となりました。
世界フライ級とバンタム級の二階級を制覇しました。
日本人初ということもあって、すばらしいですよね!
世界ボクシング殿堂入りを果たす
世界ボクシングの殿堂入りも果たした原田さん。
海外の多くの専門誌が「歴代最も偉大な日本人ボクサー」として原田の名前を挙げているかなりすごい選手なんです。
“世界ボクシング殿堂”とは、ボクシングに多大な功績を残した人物を称える博物館のことであり、殿堂入りすることはボクサーにとって最大で最高の栄誉だと言ってもよいでしょう。
日本人ボクサーで世界ボクシング殿堂入りした選手は『ファイティング原田』ただ一人ですよ。
いかに世界的に高い評価を得ているのかがよくわかりますね。
ちなみに、“世界ボクシング殿堂”とは別に“国際ボクシング名誉の殿堂博物館”という類似施設があります。
こっちでは、『ファイティング原田』はもちろん『具志堅用高』と『大場政夫』も殿堂入りしています。
世界ボクシング殿堂入りとは、すごいですよね!
これからもボクシング界で活躍してほしいですよね。